2003年04月20日

●古謝美佐子 in 世田谷パブリックシアター

4/19、古謝さんの唄会。やっぱり泣かされてしまった...。

会場は昨日(奄美フェス)と同じ世田谷パブリックシアター。最近はりぃみぃー(夏川りみ)とのジョイントコンサートが多かったが、今日は東京では1年ぶりとなるソロの唄会。冒頭のMCで、佐原さん(key, gt)が「3時間やりますがいいですか」と脅しをかける(笑)が、会場はもちろん大拍手。古謝さんは「お尻が痛くなったらロビーで屈伸運動してきてください」とアドバイス(?)。

前半は、新曲の「花影(はなかじ)」も良かったが、面白かったのが3種類の三線の聴き比べ。普通の三線とともに古謝さんの横に並んでいるのは、「ウッド三線」と「落下傘バァーイ(落下傘張り三線)」。「ウッド三線」は、オール木製で、ヘビ皮に見える鼓の部分も木製というのがオドロキ。ちょっと乾いた音色が特徴で、戦争直後によく使われていたカンカラ三線に近い音が出せるので、その頃の唄を唄うときに使うそうだ。また、「落下傘バァーイ」は鼓の部分が迷彩色で、その名の通り米軍の落下傘を利用したもの。古謝さんが子供のときにはよくあったそうだがいまはほとんど見ないとのこと。どちらの三線も宜野座の屋良三味線店で作っているそうだ。

その三線を使いわけて唄ったのは「南洋小唄」と「PW無情」。PWとは、Prisoner of War=戦争捕虜のことで当時捕虜になった人の背中には「PW」と大きく書かれていたらしい。うらみしゃや〜うちな〜、という出だしがハッとさせる。続いての「二見情話」は、思いがけず聴くことが出来て、じ〜ん。その次の「屋嘉節」の屋嘉は、戦争捕虜収容所があったところ。...と、戦争を想う唄が続く。

古謝さんは嘉手納基地のすぐ近くに家があり、小学4年生のときB52が墜落したときのことをよく覚えているそうだ。それと同じくらい911テロ直後も大変で、兵隊が銃を構えて身を乗り出しているヘリが、サーチライトを光らせながら四六時中飛び回っていたとのこと。

続く「黒い雨」は桜川唯丸さんのカバー(作詞作曲は佐原さん)。後半ラストの唄「やっちー(お兄さん)」は、伊波貞子さんの持ち唄。伊波さんが幼少の頃、南洋から戻る船が遭難し、母親が伊波さんの髪を引っ張ってくれて助かったそうだが、お兄さんはそのとき亡くなったのだそう。

後半は、唄で八重山巡りを楽しむ趣向で、宮古の「なりやまあやぐ」や、西表祖内の「まるまぶんさん」、与那国の「与那国ションカネ」「与那国猫小」などなど。

後半最後はおまちかね、すでにメジャー5組にカバーされているという「童神」と、5年前に亡くなった母を想ってできた「天架ける橋」。父親は古謝さんが4歳のときに亡くなっていて、夢を見ることもなかったが、先日小浜島に泊まったときに初めて父の夢を見たのだそう。「祈れば届くんだなと思いました。母への想い、父への想いを胸に唄っていこうと思います」。

アンコールでは、客席にいた桑江知子さん(もうお約束?)と、いずみさんを呼び出し、さらに3階席にいた神谷千尋さん、内里美香さんも緊急招集して、にぎやかに「安里屋ユンタ」。これで終わりかなと油断していたら、このあとの「家路」でしんみり泣かされる。古謝さんの幼なじみ9人のうち、一番の親友がいま闘病中とのことで、古謝さんも涙。

終演後はCD即売サイン会があり長蛇の列。そういえば、そろそろ新アルバムが発表されてもいい頃かと。予想としては今年後半?

あと、古謝さんの話では、いま「そら」のふたりが三線を習いに来たり、Nachuraとも交流があるそうで、本当にみんなのお母さんなんだな〜と思ったりして。地元沖縄でのワンマンは滅多にないもののの、いろんなライヴに飛び入り参加している話もよく聞くし、そこがなんだか古謝さんらしくて愉快かも。(5/4那覇でのRYOEIさんのインストアライブにもゲスト出演予定らしい。)

Posted by nonkar at 2003年04月20日 01:17
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